アカザラ貝を商品に~“山田のあかちゃん”誕生
牡蠣養殖の際、牡蠣にくっついてくる天然のアカザラ貝はたまたま牡蠣に付着するもので、量も定まらず未利用資源でした。しかも足が早いため遠方には出回らず、地元だけで食べられていました。
「ホタテより美味しいように感じて。何とか商品化できないかと考えたんです」
漁獲量を予測できないアカザラ貝の安定調達のために、漁師仲間から剥き身の牡蠣と同程度の価格で購入することにしました。
「俺だけじゃなくて、仲間の漁師たちの一助になればと。捨てていた未利用資源にお金が付いたらみんなもいいだろうと」
確実な成果が見込めない新商品開発に際しても、自分の利益だけではなく周囲のことを想う佐々木さんの人柄がにじみ出ています。
東日本大震災発災後
新工場は稼働半年で東日本大震災が発災、全て流出してしまいます。借金だけが残り、呆然としていた佐々木さんに、多くの励ましや応援のメールが届きます。「『もう1回ぜひやってくれ』『最初にできたのは私が買うから』と。たくさんのお声をただいて」
誠実な製品の多くのファンからの後押しもあって、佐々木さんは震災後、県内の水産事業者の中でもいち早く事業を立て直したのでした。
「漁師が作る」へのこだわり
加工に専念しても良いのでは?、と思う程、連日製造に追われる佐々木さん。商品の大きな魅力にもなっている、加工業者が“自分で育てた牡蠣”であることは大切です。
でもそれだけではない、と佐々木さんは力を込めます。
「この山田湾の中でも、場所によって環境が違う。この水温だとここがいいとか、感覚的に分かる。牡蠣が痩せている時期でも、その中のベストを選べる。常に一番いい状態の牡蠣をチョイスできるんです。こればかりは自分で育ててないと分からないですね」
山田湾の牡蠣の魅力
「山田湾の牡蠣は小ぶりだけど、きゅっと身が締まっていて美味しいですよ」
三陸の魚全般、水温が低いせいか、脂が乗りやすく美味しい、と海の話をする佐々木さんは本当に嬉しそうです。
水産業の課題―後継者不足―
現在の課題は「後継者不足」。以前は牡蠣漁師が200名程いた地域(旧大沢漁協エリア ※1)ですが、今では7、80人に。牡蠣養殖は先細りの状況が続きます。
※1 現在、町内の4つの漁協(大浦、織笠、山田湾、大沢)が合併し「三陸やまだ漁協」の管轄になっている
「『稼げない』一次産業のイメージを払拭しないと」
自身も後継者に悩む1人ですが、水産業界全体でも共通の課題です。「水産業で稼げるなら、いくらでも後継者は集まる。仕組みが必要なんです」
儲かる仕組みさえあれば、自分で自由な時間を作れる水産業は魅力的だといいます。
描く未来へ
評価の高い三陸の海産物でも、ブランド化は進んでおらず、後継者不足による高齢化も深刻。佐々木さんはこれまで培ってきた人的ネットワークや販路等を活用し、これらの課題に挑戦してきました。
「漁協に頼らずに自分で販売先を見つけるようなやり方もある、と気づくきっかけになれば」と旗振り役を担ってきました。
安全で美味しいものを届けたいという誠実さはもちろん、どんなものにも“価値”を見出し、共に楽しもうと努力と工夫を続けてきた佐々木さん。共感で結びついた多くの人たちを巻き込み、リピーターやファンを増やすことに繋がった佐々木さんの活躍は、これからの漁師のロールモデルと言えそうです。
発売当時から変わらないパッケージと中身。そんな“山田の牡蠣くん”に小さな変化がありました。長年のお客様のニーズに応え、賞味期限を60日に伸ばすことに成功しました。
小さな小さな、変化。でもきっと長年のリピーターさんたちはすぐに気付いて連絡してくるのでしょう。燻製にした牡蠣の瓶詰めを介した、佐々木さんとお客様とのコールアンドレスポンス。心の通ったやりとりから、漁業を志す若者が現れる日も訪れそうです。
かけがえのないパートナー
“不器用”という父親とは反対に、細やかな作業を手際よく進めるのは娘の里実さん。ギフトの注文が中心のため、大量注文のたびに手作業で箱を組み立てます。数百単位の大量注文にも「この数まではできた、と自信になる」と屈託のない様子で話す里実さんには、無垢という言葉がぴったり。大柄な佐々木さんにすっぽり隠れるほど華奢な里実さんが、佐々木さんの奮闘をそばで支えています。
“山田の牡蠣くん”と“山田のあかちゃん”。並べた二つの商品に、佐々木さん親子の2人の姿が重なります。
いつでも感謝を胸に
最後に一言どうしても伝えてほしいことがある、と佐々木さん。
「震災前あるいは震災後、多くの方々に助けていただきました。その方々に感謝しながらこれからも商品を作り続けていきたい」
いつも感謝の気持ちを忘れず、1つ1つ丁寧に作ってきた佐々木さん。
ロングセラー商品として、「山田の牡蠣くん」が長く愛されているのには品質や味だけではない、佐々木さんの心持ちにも理由がありそうです。
「引退したら日本酒片手に、生牡蠣を食べたい」と笑いながら話してくれました。ノロウイルスのキャリアにならないように配慮し、加工を始めて以来20年近く生牡蠣を食べていないそうです。新鮮な生牡蠣を目の前に、そんな摂生した生活を送るとは、修行レベル。
ひと瓶に詰まった、物語と思いに触れて、牡蠣は生か自分で調理するものと思っていた三陸沿岸育ちの私は、この日、人生で初めて“牡蠣の加工品”を買って帰ったのでした。
文・写真:石山静香