2022.11.29
岩手県2022.11.29
価値を創造する人
〜自然を愛し、人に愛され、地域をつなぐ〜 vol.01
株式会社 山田の牡蠣くん

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  • 株式会社 山田の牡蠣くん

牡蠣の燻製オリーブオイル漬け“山田の牡蠣くん”。
岩手県山田町の牡蠣漁師・佐々木俊之さんが手掛けた商品です。
「バケットをガーリックトーストにして、たまねぎをスライスして乗っけて、オリーブオイルちょっと多めにして、ペタッと牡蠣をのっけて。特に新玉ねぎなんかだと、本当に美味しいですよ」と佐々木さん。
一度聞いたら忘れない覚えやすい商品名。三陸沿岸育ちの私には既知の存在。周りにはファンもいて、常に気になる存在ではありつつも、生牡蠣が豊富な土地で牡蠣の加工品を“あえて”買うことはありませんでした。
しかし、佐々木さんが本当に美味しそうにオススメの食べ方を教えてくれるので、ためさずにはいられません。
プリッと身が締まり、弾力ある牡蠣の食感に、燻製のいい香りが口中に広がります。香りを邪魔しない上品なオリーブオイルが絡まり、牡蠣の味を一層引き立てます。旨味が移ったオイルも美味。確かにこれはクセになる…!
“山田の牡蠣くん”は、漁師が自分で育てた水産物を加工して販売する、6次化の先駆けとしても話題になりました。後にシリーズとして開発した未利用資源であったアカザラ貝を使った“山田のあかちゃん”と共に、佐々木さんが丁寧に育て、加工した商品は日本中の食卓から愛されています。

Uターンして牡蠣養殖の後を継ぐ

三陸の海に面した岩手県の中央に位置する山田町。海が穏やかで水深が深く、養殖に最適の環境です。海山両方からの栄養分が流れ込み、狭い湾口が栄養分を湾内にとどめるため、牡蠣にとって豊富な餌場となっています。そのため、昔から牡蠣やホタテの養殖が盛んでした。

佐々木さんは、山田町大沢地区に生まれ育った牡蠣漁師の2代目。東京の大学に進学し経営学を学んでいましたが、お父様のご病気により急遽帰郷し、後を継ぐことになります。当時「サラリーマンよりも漁師の若者が稼げる」良い時代でしたので、迷いはなかったと懐かしそうに言います。

自由時間で漁師生活にメリハリを

若い頃から、シーカヤックやウィンドサーフィン等のマリンスポーツから、登山やスキーまでアウトドアが趣味の佐々木さん。
「牡蠣養殖は意外と自由時間もある。出荷なんかで冬は忙しいんですけどね。夏は暇だからここからアルプスに登りに行ってました」「大体3月ごろになると牡蠣の出荷が終わる。終わったらすぐスキーに行ってましたね」
“ちょっとそこまで、遊びに…”のスケールが大きい。漁師さんは“浜から離れられない”イメージですが、佐々木さんはやり方次第で休みもしっかり取れると断言します。
「自分で仕事を決められるから、自由な時間ができちゃうんですね。会社勤めじゃないんで休みたかったら休めという感じ。かなり魅力的だと思いますよ」20年以上前の北国の小さな漁村に、こんな感覚の漁師がいたなんて先進的。
ワークライフバランスのお手本です。

不器用さが生んだ加工品

2006年頃にノロウイルスの風評被害に遭った牡蠣業界。殻付き牡蠣が一気に売れなくなりました。それまでずっと、地元の大沢漁協が殻付き牡蠣部門で築地シェアNo.1でしたが、これを機にその座を明け渡すことになります。
「剥き身にすれば加熱用で買ってくれるんです。ですが、ここで大問題になりまして。実は私、牡蠣を剥くのが非常に遅いんです。人の10分の1ぐらいしか剥けない。不器用なんですよ。ただ剥けばいいってだけじゃなくて、綺麗に傷つけないようにしないといけなくて…、それができない」

とはいえ、牡蠣漁師。周りのスピードがよっぽど早いのだろうと思っていると「私の方が早い」と娘の里実さんが続ける様子に、どうやら謙遜されているのでもなさそうな気配を感じます。
人が1日10キロ剥くのに1、2キロしか剥けない。当時加熱用で1キロ浜値(浜の売買)で1,000円程度でした。
「10キロ剥けば1万円なんですよ。奥さんと2人で剥けば2万円。毎日2万円日銭で入ってくれば食っていける。ところが1,000円だったら食っていけない。『10分の1しか剥けないんだったら10倍の値段で売ろう』と考えた。そこから加工を始めたんです」
いち早く加工品を手掛けたのは、「不器用さ」によるものだったという驚きの事実。ピンチをチャンスに、短所を長所に変えていく、佐々木さんのしなやかな強さを感じました。めげないレジリエンスはいつも変わらぬ大切な資質です。

試行錯誤の連続

佐々木さんはあらゆる加工を試します。「ノロウイルスの対策には熱しかない。加熱して、なおかつ美味しいものを作ろうと思って。結局、1年ぐらい試行錯誤しましたね」

テストマーケティングはカヤック仲間に

元々三陸の海はカヤック向きで、全国からカヤック好きが集まります。カヤック仲間が佐々木さんの作業小屋の2階に泊まっていくようになりました。
「仲間に試食してもらって、一番好評だったのが牡蠣の燻製。そのうちに仲間たちがお土産にしたいって言い出したので、瓶に入れて持ち帰ってもらってました。すると、関西の焼肉屋さんから欲しいと要望をもらって」

保健所の名物職員の協力

本格的なビジネスにするには、保健所の許可が必要と、佐々木さんは最寄りの保健所に出向きます。当時、新しいかたちの商品だったため、どの範疇で検討すればいいのかさえわからず、“食品衛生の鏡”のような保健所の担当者は相当悩んだそうです。「泣く子も黙るって恐れられるくらい」と、担当者の厳格さを表現する佐々木さん。
「担当の職員さんが年度末で転勤になったんですが『手がけたからには、許可は私が出したい』と。それで営業許可の基準で一番条件の多い惣菜製造業の基準に習いました。すると「そこまで揃ってるならと、本当に許可を出してくれた」
この人なら、間違いないものを作るに違いないー厳格な保健所の方からも信頼を得られたのは佐々木さんの人柄によるところが大きいようです。

県知知事賞受賞

1年越しの許可の後、“山田の牡蠣くん”は、2009年度の水産加工品コンクールで県知事賞を受賞します。
知らせを受けて、許可を出してくれた保健所の職員さんからも久々に連絡がありました。
「保健所のみんなに食べさせたいから20本ぐらい送ってくれって言われて、保健所に送りました。」
翌年、2010年度にはアカザラ貝“山田のあかちゃん”でも同賞を受賞。佐々木さんは期待に応え、着実にひとつずつカタチにしていきます。

文・写真:石山静香

後編へつづく