2022.12.20
千葉県2022.12.20
九十九里から、届け!絶品ハマグリ。
~漁師がつなぐ人と地域~ vol.01
不動丸

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生まれも育ちも東北、生粋の東北人の私には“九十九里”は別世界。海は繋がっている…けれど誰もが知っている“九十九里”は別格!ちょっぴりよそ行きの気持ちで訪れました。

サーファーの聖地として有名な千葉県九十九里浜、沿岸北部に位置する旭市は、農業、水産、畜産、花卉栽培と、温暖な気候と肥沃な土地で、昔から農水産物が豊富な地域です。漁師の遠藤勝信さんは自身でネット販売を手掛け、今年6月には加工場を新設、来年からは加工場併設で直売所もオープンする予定です。

事前にオンラインで一度ご挨拶をさせてもらっていましたが、なんというか…失礼ながら、画面越しには“迫力ある漁師”というよりはあどけなさのある“かわいらしいご夫婦”という感じ。実際お会いすると、一番上は高校生のお嬢さん…と驚きました。でも、画面からも伝わってきた印象は間違いなかったと納得。一言で言うと“ピュア”。高校生のお姉ちゃんはじめ、小4の息子くんもしっかり挨拶をしてくれ、ご両親に似て、眩しいくらいつぶらな瞳で真っ直ぐ見つめてくるのが印象的でした。

漁師になりたくなかった2代目

勝信さんは2代目。高校卒業直後、漁師になりました。4人きょうだいで男の子は勝信さんだけ。

「だから継がせたかったんだね。継いでくれとは言われないけど、半強制だよ。当時はバブルが崩壊した直後。まだ魚が高くていい時代だった」と振り返ります。

25歳で船頭になる

乗り物酔いがひどかった勝信さんは2年間船酔いに苦しみます。「薬飲んだって何したって治らない。朝、また船行くのかって思うでしょ。そうすると気持ち悪くなるんだよね」船酔いを克服し、25歳で船頭になります。

「そもそも船頭よりも乗組員の方が年上。年齢も若いし、経験も浅いから色々言われたよ。船酔いしてたの知っているから、そんな野郎にできんのかと」

若い船頭、ここで持ち前の負けず嫌いが顔を出しました。

「親父も負けず嫌いだから、『負けんじゃねえ』って言われ続けて。自分も必死だった。商売に関しては年上であってもライバルだから。譲るわけにはいかない。俺は経験が浅いんだから守るものがない。攻めるしかなかったんですよ」

でも「それがよかった。おかげで今がある」と断言します。

船上の戦友、父の存在

お父さんが亡くなってからもうすぐ2年。現役の頃は毎日喧嘩する関係でしたが、

「亡くなってから思ったね。『喧嘩してるときが良かったな』って」

喧嘩していても親子だから相談もする。今は相談する相手がいない、と少し寂しそうに言います。漁に関して一番信頼できるのは、船上で一緒に戦ってきたお父さんです。

「今でも思うよ。大漁だった時なんかには、親父が力を貸してくれたのかなって」

改革

無我夢中で全力疾走していた勝信さん。

「うちは元々刺し網漁1本。昔はハマグリ漁もしていなかった。親父が引退してから、それでは駄目だなと」

刺し網漁とは、網をしかけ、その編みに魚を絡めて獲る漁法。漁から帰ってからも網の整理や補修などがあり、労働時間が非常に長くなってしまいます。結婚を機に「多角化していろんな漁をできるようにしなきゃ、安定しないなと」船を買い取り、多角化に向けて舵を切りました。

「活」で届けるネット販売 

多角化をしても、漁獲量も価格も変動のある漁だけではまだ安定とは言えません。

「自分で値段をコントロールできることを考えたら、ネット販売に行き着いた」

コロナの直前に“食べチョク”で販売を開始。徐々に売れ始めた頃、テレビ番組の取材を受け、メディアの力を思い知ります。

「放映後ずっと携帯なりっぱなし。メールでボンボン入っちゃって、3時間ぐらいで生の伊勢海老の注文が300入ってきた」

とはいえ、自然相手の漁業、伊勢海老が獲れるかどうかは未知数です。そこから「獲れない時や年末にどうやってお客さんに提供するか」を考え始めたそうです。

また、成功し始めると、真似する人が出てきます。価格競争を避けるためには、何か違ったことをやるしかない。市場にないときにも提供し、安定供給で付加価値を付ようと加工場設立を決断しました。

実は最初に“食べチョク”を選んだのも、差別化を考えてのこと。当時、まだ “食べチョク”が爆発的に広がる前で、出店者に漁師はほとんどいなかったのです。

「(“食べチョク”は)農家がメインだったから、そこにチャンスがあるなんじゃないかと」

機を見て決断する決断力はさすが。25歳で船頭となった経験がものを言いました。

「本当は1番最初のはずだったんだけど…販売開始までにちょっと時間がかかっちゃってね〜」と豪快に笑い飛ばせちゃうところが、爽やかな海の男です。

漁法の多角化、ネット販売、加工場と挑戦は続いていますが、根っこにあるのは、安定だけではありませんでした。
「今までの漁師じゃ納得いかなかった。ある程度収入はある。けど、お金が全てじゃない。自分は漁師になるのが嫌だったから、どうしてもそのままにしておけない。苦労しても何とかしたかった。 それに俺、常に何かやりたい人なの。何か新しいことやりたいし、何か変えたい」お子さんたちそっくりの、キラキラした目を一層輝かせます。

文・写真:石山静香

後編はこちらから