~地域を守り、世界を目指す~
干物が日本独自の食文化だということ、みなさんご存知でしたか?
その歴史は4,000年前、なんと縄文時代まで遡ります。
食物貯蓄を目的に生み出された干物技術はその後天皇への献上品として、さらには酒の肴として広まっていきました。江戸時代には、各地で獲れる魚種をいかし、地方色豊かな干物が発展します。世界中に色々な“乾物”はありますが、“和食文化”の広がりをきっかけに日本の干物文化は世界から熱い視線を浴び始めています。
古来から水産業が盛んな福島県いわき市にある株式会社海神は、干物のリーディングカンパニー。国内はもとより、海外への干物文化の発信を模索しています。
明るい水産加工場
工場内に一歩入って驚きました。スポーツ観戦にでも来たかのような気分になったのです。手捌きの速さ、次々と次工程へと送るパス、流れるような作業でゴールに向かいます。にもかかわらず、殺伐とした雰囲気は無く、皆さん「こんにちは〜!」と明るく歓迎の意を示してくれました。
こんなに明るい水産加工場、一体どんな方がどんな想いで経営されているのか。入り口から興味をそそられました。
25歳で帰郷し、現社長と出会う
福島県いわき市の株式会社海神(わだつみ)専務取締役・真木俊介さんは、東京の大学を卒業し、都内の飲食店で働いた後、帰郷し、水産加工を営む父の会社に入社します。
「従業員が7、8人の小さな会社だったんですが、将来性としては相当に厳しいなと。成長していくような可能性が見えなかった。親父は優秀ですが職人気質で『作れば自然と売れる』という古い考え方の人間でした」
真木さんは東京時代にバーで店長を任され、利益の出し方や考え方を少しずつ勉強していました。
「帰ってきて、自分の会社の様子を見て、衝撃だったんです」。
早急になんとかしなければならないと感じた真木さんは、当時から干物業界で有名人だった石井英樹さん(現 株式会社海神 取締役社長)を訪ねます。
「とにかく必死でした。僕は異業種から入ってきたので、水産加工のことは全くわからなかったので、色々勉強させていただきました」と、当時を振り返ります。
石井さんは干物の技術もさることながら、営業力や企画力、アイディアに優れた方。時には、何ヶ月もかけてロゴを作ったり、商品を開発したり、展示会に同行したり…真木さんは、石井さんから売るために必要なあらゆることを直に吸収していきました。
親子ほどの歳の差がある二人ですが、仕事だけでなくサーフィンの趣味も同じだそう。“同性のパートナーが最強”とよく聞きますが、まさにそんな最強の2人です。
なぜそもそもホッケだったのか?
干物の中で最も売れているのがホッケ。“縞ホッケ”と“真ホッケ” がある中で、海神は“縞ホッケ”に注目します。
「会社を大きくしてビジネスを広げるために『売れているアイテム』は重要だったんです。売上目標を最初から立て、10年で10億円を目標にしてきました。昨年7年目で8億程度までいったので。数字としては順調ですね」
しかし、最初から順風満帆というわけではありませんでした。
大きさと、品質で勝負
「同じ縞ホッケでもサイズ感も色々ありますし、脂の質も全然違う。一口にホッケと言っても一緒ではないんです」
扱う縞ホッケは大型のサイズが中心で約600g。最も売れるボリュームゾーンは300g台なので、約2倍の大きさです。
「このサイズを扱うのは、お土産屋さんやデパート向け等に、少量で卸しをしているケースですね。大量に加工しているのはほとんど見たことがない」
創業当初は海神も300g台を扱っていましたが、需要が多い分競争が激しく、価格競争になってしまう。
「最初に価格競争になってしまうようなサイズのものを加工したところで、僕らが生き残る術がない」と、方向転換をします。
「お客さんがいない状況でこの加工場を作ったんです。ゼロに近い状態から始めたので、まず売って、工場を回転させないと話にならない。従業員には福利厚生をしっかりした会社にしようという想いは最初から持っていたので、それを実現することも考えると、それなりの価格のものを作っていかなければならない」
では、何で戦えるか。
「品質を上げて少しでも高く買ってもらえるような商品を作っていくしかない」と、誰もが手を出しにくい大型のサイズに敢えて切り込み、商品化するところに辿り着きました。
とはいえ未知数の挑戦です。真木さんは直感的に「ニーズはゼロではない」と感じたといいます。品質を担保しているスーパーにターゲットを絞り、懸命に営業します。
「いかに大きいサイズのものを丁寧に作っているかとか、商品のブレがないことをアピールしました」。その成果が実り、売り上げは徐々に伸びていきました。
品質確保の方法
「魚って個体差がすごい。脂の乗りも、同じ原料、同じ量の中で1個1個全然違う。お肉ほど均一に商品が作れないんです」と真木さん。一般的に魚は獲ってそのまま商品化するため、均一性が保てない。そこで海神では、商品として仕上げた後に、最後の段階で選別をし、均一にしています。
「目で見て『これ、いいやつ』『これ、悪いやつ』と。選別することで手間がかかってしまうので、商品の価格は上がってしまいますが、その分お客さんにとっては、常に同じ商品が来る安心があります」
一年を通して日本に輸入されているホッケですが、実はホッケにも旬があります。「いい時期って限られている。例えばアメリカ産の縞ホッケだと8月、9月ぐらいに獲ったものが旬。ロシア産なら5月から8月ぐらい。基本的に、それぞれいい時期のものだけを買い付けしています」
厳選した原料をさらに選別することで、年間通してブレない商材をお客さんには提供できる、と真木さん。
輸入会社にしてみれば、これまで買い手のいなかった余剰サイズの売り先になるため、とても助かります。こうして新しい市場が生まれていきました。
M&Aを経て、次のステージに
今年7月、海神ではM&Aを受けました。
「資本力を強くしたかったので、親会社のようなものを作りたかった。それに事業継承を将来的にするにあたり、しっかり経営できる方達に教えてもらった方が、僕らもやりやすい」
真木さんは、常に先の先までを見据えています。
最初は10人程度の規模から始めて、ここ2、3年で4,5倍の規模になりました。「会社のシステムなども含めて、足りない部分は外から補完していかなくちゃいけない。作る、売るという行為はできても、会社の管理や仕組みを家内制手工業から“会社にする”という意味では、大きな力が必要な過渡期に入ってきた」そのタイミングで、M&Aの話が浮上します。
「会社の将来を考えた時に、従業員の将来を守らなくちゃいけない」そして「自分の生まれ育った地元で、会社運営を勉強できる機会ってそうそう無い」という想いもありました。
M&Aの母体となった企業は、全くの異業種。
「僕らの考えないアイディアを持っている。既にプラスになっていると思います」どんな時にもポジティブな真木さんにとって、変化はむしろチャンス。この変化も積極的に受け入れ、成長のきっかけにしようとしています。
文・写真:石山静香