2023.11.17
宮城県2023.11.17
石巻市から “ほや” 好きを増やしていく!
「ほや酔明」に次ぐ一手は家庭へ 〈後編〉
水月堂物産株式会社

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水月堂物産

被災し、3つのうち2つの工場を失う

水月堂物産
本社前に広がる入海・万石浦

同社は1962年、阿部さんの祖父・慶治さんが創業。サンマの圧搾事業にはじまり、やがて生牡蠣を出荷するようになった。1977年には父の芳寛さんが社長に就任し、さらに生牡蠣の事業を拡大していく。

1980年ごろからは、ほやの乾燥珍味をつくりはじめた。その後、東北新幹線が開通すると聞いた芳寛さんがほや酔明を売り込み、車内販売の棚を獲得したのだという。2009年には阿部さんが入社し、親子で事業を盛り立ててきた。

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3つのうち、唯一残ったかつての水くみ場

順調に事業を拡大していったが、2011年に東日本大震災が起こり事態は一変する。当時、石巻市内に3つの工場を保有していたが、主な拠点として稼働していた2箇所が津波で流された。生産機材もすべて失い、残る1箇所は現在の場所にあった生牡蠣出荷用の水くみ場だけだった。絶望的ともいえる状況だったが、水くみ場に工場の機能を集約し、手作業でできることから再スタートを切った。

「ほやを忘れさせてはいけない」赤字経営を継続

水月堂物産
ほやの収穫には3年がかかる

しかし、問題は原料の調達だ。ほやを養殖するためのいかだも津波で流され、震災後、宮城県内でのほやの水揚げはしばらくストップしてしまった。

ほやが獲れなければ、ほや酔明は作れない。しかしあきらめなかった。韓国に輸出されていた宮城県産のほやを逆輸入し、それが途切れると今度は北海道からほやを取り寄せる。そうしてなんとか、東北新幹線の名物・ほや酔明をつないだのだ。

当然、仕入れコストは膨れ上がった。阿部さんは当時を振り返り、「衝撃的な赤字でした」と豪快に笑う。なぜそこまでして、ほやにこだわったのか。そこには、ほやにかける熱い想いがあった。

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ほや業界を盛り上げたいという想いがひしひしと伝わってくる

「実は震災当時、弊社の主力事業はまだ生牡蠣でした。ですが知名度では、ほや酔明の方が圧倒的だったんですね。ほやを宣伝し業界を盛り上げるには、ほや酔明を売り続けることがベストだと考えました。しかし宮城での水揚げが再開する3年後を待っていたら、ほやもほや酔明も忘れられてしまうかもしれません。だからたとえ赤字になっても、お客さまがほやを見る機会を絶やしてはいけないと思ったのです」

また、車内販売に対しても並々ならぬ思い入れがあった。「ほや酔明は、車内販売の中でも売れ筋の商品です。被災したとはいえ、自社の事情で一方的に『納品できません』とは、言いたくなかった」と阿部さん。

人々の意識からほやをなくさないことと、新幹線内に自社の棚を確保すること。総合的に考えた結果、短期的な赤字を背負ってでもほや酔明を作り続ける決意をしたのだ。

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そうした紆余曲折を経て2014年、宮城県でほやの水揚げが再開された。事業が軌道に乗ってきていた矢先、今度は東北新幹線「やまびこ」など一部路線で車内販売が廃止されてしまう。震災に続いて売上に大打撃を受けたものの、ここから同社はおみやげ事業に力を注ぐようになる。その後の展開は、上述の通りだ。

これまでさまざまな障害にぶつかりながらも、ほやにかける熱い想いと柔軟な対応力で乗り越えてきたことがうかがえる。

「ほや好き」が伝染する

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ほや酔明は袋入りや大箱など、さまざまなサイズで展開している

「実は、ほやを嫌いだという人はそう多くありません。嫌いな人の声が大きいのに対して、好きな人は声高に言わないというだけなんですよ」と阿部さん。

それを裏付けたのが、2022年12月に販売を開始した「ほや酔明おにぎり」の存在。宮城県内のコンビニエンスストア「NewDays」などに置かれ、仙台駅構内においては、新幹線改札の内外にてそれぞれ販売されている。

そのうち、売上が多いのは圧倒的に改札の外側。つまり「地元の人が買っている」「宮城にはほや好きが多い」ということだ。

さらにほや酔明おにぎりは、SNS上でも広く拡散された。「ほや好きな人」がおにぎりを食べて好意的な発信をし、その評判を目にした「ほやをよく知らない人」が買う循環が生まれる。SNS上には、ほや酔明おにぎりに対する「おいしい」という感想が溢れたそうだ。

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「世の中にはほやを好きな人、嫌いな人、よく知らない人の3種類がいるんです。私たちがアプローチしていきたいのは、ほやを好きな人と、よく知らない人です」と阿部さん。ほや好きな人の声を聞いて、よく知らない人がほやを食べて好きになる。こうした地道な取り組みによって、ほやの購買層を広げていきたいと意気込む。

「自宅でほや簡単調理シリーズ」の普及により家庭でほやを食べる機会が増えれば、ほや好きの家族につられて、徐々にほや好きの総人口が増えていくことだろう。これこそが、水月堂物産が「酒飲み」から「家庭」へと目を向けることになった理由なのだ。

文・岩崎尚美 写真・株式会社ル・プロジェ