2023.01.6
福島県2023.1.6
真穴子をいわきの新名物に
~逆境に燃える異端児の挑戦~ vol.01
はまから

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福島県いわき市の海産物といえば ・・・穴子!と思う方、どれだけいらっしゃるでしょうか。福島県内の道の駅で、かなり奇抜なパッケージの穴子の蒲焼きを目にしたことがありました。「へ〜、いわきで美味しい穴子が獲れるんだ?!」…と、実は気になっていたのです。

“いわき漁師魚屋 手焼き真穴子 KABAYAKI ANAGO!”蒲焼きの仕込み工程を、米国のコミック、アメコミ調で説明しています。こんなユニークな商品を作っている方はどんな方だろう…興味津々で取材当日を迎えました。

同市内・小名浜から海沿いの道を走ること30分。四倉を越えて、更に北上します。天気が良い穏やかな日。いわきにこんなに開けた海だけの広がる景色があるとは知りませんでした。
漁港からすぐ近くの“浜風きらら”に阿部さんの鮮魚店“おさかなひろば はま水(はますい)”がありました。

宮城県石巻市から、いわきへ

阿部峻久さんは、宮城県石巻市生まれです。同市網地島で渡し船の船頭をしていた祖父。その影響で父は船のエンジニアとなり、一家の暮らしは海と共にありました。阿部さんは、大学進学時に地元を離れ福島県いわき市に移り住みます。

大学時代はジャズ研究会に所属。40 人のメンバーから選抜して3チームを結成し、ツアー巡りを実施したのが青春の思い出なのだとか。元々、イベントなどの企画事が大好きだったそうです。趣味が高じて、大学卒業後はそのまま福島県に残り、いわき市で企画・プランニング会社を立ち上げます。

地域支援や文化事業に興味があり、地域のNPOで文化事業やアートプロジェクトの運営活動にも従事。そうした縁で、いわき市に新設された産業支援機関「公益社団法人いわき産学官ネットワーク協会」に12年に勤務することとなり公務員も経験しました。

魚屋となった今も、いわき市のシティセールスプロモーション委員、中心市街地活性化基本計画の委員など、地域の発展に尽力する日々です。来るもの拒まず、声が掛かったものは「どんどんやりましょうっていうスタンス」なのだそうです。

「阿部さんって、一体何屋さんなのですかね?」と思わず突っ込んでしまいました。魚を売るだけの魚屋さんではありません。鮮魚の仲買人、加工、営業まで全てを担い、更に子どもたち向けのおさかな教室や学生の漁業体験等の水産業の担い手育成事業など、実に多忙な魚屋さんなのです。

久之浜との出会い
2011年の東日本大震災以降は、地域の復旧・復興に向けてボランティアをしていました。津波被害が甚大だったいわき市久之浜で、復興の花火をあげたいと相談を受けたことが、久之浜との出会いのきっかけです。

震災から10年続いた、東日本大震災の被災地で鎮魂と復興への祈りを込めて同日同時刻に一斉に花火を打ち上げるイベント、”LIGHT UP NIPPON”。

阿部さんらが関わり2014年夏には、久之浜にも大輪の花火が打ち上がりました。こうして徐々に浜とのつながりが深まり、仲間と2018年、漁師の担い手不足の解決を目指し”合同会社はまから”を立ち上げ、翌年、魚屋の“はま水”をオープンしました。

公務員としての仕事、福島県のNPO事業。どちらもやりがいは十分あったそうですが事業の多様化に伴い、はまからの活動に注力していきます。その後、新型コロナウィルス感染拡大の影響を受け、加工品開発事業拡大を見据えた新たな事業展開のタイミングで、地元漁師から代表を引き継ぐ決心をします。2021年5月から阿部さん一人で「はまから」をしょってたつことになりました。

地魚の力、穴子第1弾

阿部さんにとっての地魚は、言うまでもなく穴子です。とはいえ、いわきの特産として知名度の高い魚がたくさんある中で、なぜ穴子に目をつけたのでしょう?

阿部さんは“知られていないからこそ”穴子に可能性を見出していました。親潮と黒潮が混ざり合う、栄養豊かな海で育った“常磐もの”の美味しい穴子を使った商品を開発し、久之浜として初のブランド創出を目指しています。

「常磐沖で水揚げされる穴子は、脂の質が違います。こってり、ではなくさっぱりな脂が美味しさを引き立てるんです」と、阿部さんは自信たっぷりです。

コロナで、魚屋の客が激減したことも相まって、元々やりたかった商品開発に力を注いでいます。セミナー後の懇親会で、東北の加工品開発支援や文化発信を手がける“東の食の会”の当時の事務局代表と向かいの席になり意気投合、その後、サポートを得ながら仕上げたのが、あの穴子の蒲焼きでした。

文・写真:石山静香

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