まだ夜が明けない早朝5時。
いわき市永崎海岸ほど近くのかまぼこ店「貴千」の工場からは、湯気が立ちのぼります。中へ入ると、おいしそうな香りに包まれ、忙しそうに働く人たちの姿がありました。
「温度や湿度の変化で身の状態が変わってしまうほど、かまぼこって繊細なんです」と話すのは、貴千三代目の小松唯稔(こまつただとし)さん。
柔らかい物腰の人柄とは反対に、ものづくりへの厳しい姿勢が印象的です。
港町で代々続くかまぼこ店
「貴千」は1963年創業のかまぼこ店。60年以上にわたり練製品を作り続けてきました。
全国でもトップクラスのかまぼこ生産量を誇るいわき市は、かつて板かまぼこ生産量日本一の町として知られていました。漁港の周辺には、工場が数多くあったそうです。
しかし、東日本大震災の甚大な被害により、その数は激減。貴千も厳しい状況に立たされましたが、いわきの誇る食文化を守るため、かまぼこを作り続けてきました。
「震災後はかまぼこをおかずとしても食べてもらいたいと思い、主力の板かまぼこから徐々にオリジナル商品を作りはじめるようになりました」と唯稔さん。
店内のショーケースには、いわき発祥の郷土料理「さんまのぽーぽー焼き」を再現したかまぼこやワインに合う新感覚のイタリアンかまぼこ、ウニやカニを惜しげなく乗せた「珍味かまぼこ」など、一風変わった創作かまぼこが並び、ワクワクした気分を誘います。
くすんだ色は天然の証
次々と新しい商品を生み出す貴千ですが、初代小松中司さんの教えを忠実に守り、伝統の製法に変わりはありません。
それは、旨いかまぼこを作るため。すり身は、魚の繊細さを壊さずに丁寧に「摺る」ことにこだわります。
「魚の身は温度や湿度の変化、塩を入れるタイミングひとつで身の状態が刻一刻と変化してしまうんです。旨味を最大限引き出すために、機械まかせにせず、職人の手の感覚で常に身の状態を確かめながら摺っています」と唯稔さん。
取材のこの日は、商品開発した「千」の製造過程を見学させてもらいました。
丁寧に摺ったすり身が成型するための機械を通り、板かまぼこの形になります。すると、普段よく目にする板かまぼこの色とは異なることに違和感を感じました。
「これは天然の色ですか?」と質問すると、「よくわかりましたね!」と唯稔さん。
「天然の魚って真っ白ではないんですよね。調味料も黒っぽいものが多いのでくすんだ色になります。今の技術であれば、着色料や添加物を使って簡単に鮮やかな色にすることができます。旨味調味料を使えば、簡単に舌がおいしいと感じる味を作ることもできます。ですがこの商品は、天然のものにこだわり、素材の味をとことん追求しているんです」と力強く語ります。
余計なものを削ぎ落とし、素材の味で勝負する。シンプルでごまかしが効かない分、職人の技が必要とされます。
「この商品を作ろうと思ったきっかけの1つに、お客さんや自分の周りにアレルギーを持つ方が多いことがありました。安心して食べてもらえる商品を作ろうと思うと、素材の味そのままになるんですよね。ですが、昔に立ち返って本来の味に近づけようとすればするほど、難しいんですよね」と唯稔さん。
その難しさに挑戦したのが今回商品開発をした「千」なのです。
かまぼこ屋だけにはなりたくなかった
かまぼこの可能性を限りなく追い求める唯稔さんですが、どのような人生を歩んできたのでしょうか。
「子どもの頃は、かまぼこ屋だけには絶対になりたくないと思っていました。だって大変ですもん。繁忙期には、朝の3時から夜中の12時までかまぼこ作りに追われるんです。そんな両親の姿を見て、こんな大変な仕事は絶対に嫌だと思っていました」
敷かれたレールを歩む人生も送りたくない。反発した唯稔さんは県外の大学に進学し、海洋建築を学びます。しかし、希望の職種には就職ができず、中古車販売の営業など職を転々とした時期があったそうです。
「こんな中途半端なままでどうするんだ……」
思い浮かぶのは、忙しく働く両親の背中。今の自分は胸を張り、誇りを持って働いていると言えるのだろうか……。そんな唯稔さんの背中を押してくれたのは、悔しくも創業者である祖父との別れでした。
「祖父は私に店を継がせることを夢見ていたんです。祖父の死をきっかけに、自分の進む道について真剣に見つめ直しました。その時に、覚悟を持って家業を継ごうと決心したんです」
塩一滴の感覚を知る
家業を継ぐ決意を伝えると、父・健司さんは外へ修行に出ることを勧めます。
「新しいものを生み出していきたいなら、家業で修行をしても何も生まれない。今はかまぼこを作るだけの時代じゃないよって言うんです」
そこで、唯稔さんは千葉県柏市にある日本料理店へ。板前として修行をしながら、料理の色彩感覚や繊細さ、奥深さをを学んだそうです。
中でも、特に印象に残っている出来事があります。
「料亭の味を決めるのが出汁ですよね。作ったものを最後に親方に味見してもらうんですが、『塩が一滴足りない』っていうんです。大きな寸胴で作ったスープに、塩水たった一滴ですよ。半信半疑でしたが、言われた通り一滴足してみると味がグッと引き締まって別物になるんです。驚きましたね」
この塩一滴の感覚は、今も唯稔さんのものづくりに対する基盤になっているそうです。
その後も名古屋のかまぼこ店、鹿児島のさつま揚げ店で修行を重ね、2007年に地元へと戻りました。
替えのきく商品を作っていたらダメなんだ
貴千に入社し、ようやく仕事に慣れはじめた2011年。東日本大震災が起きます。
今までに体験したことのない揺れの後に襲ってきた津波。工場の横を流れる川から逆流してきた水で工場は半壊しました。加えて、福島第一原発の事故が起きます。
工場を再開できたのは1ヶ月半後です。原発事故の影響は大きく、主力の板かまぼこは顧客のほとんどを失ったそうです。
「あの日、震災があってスーパーに卸していたかまぼこが出荷できなくなりました。スーパー側は、商品がなければ困りますよね。だからと言って、空いた棚を埋めるために貴千のものである必要はないんです。板かまぼこであれば、どの会社のものでもよかった。結局、工場稼働後も取引が再開されることはありませんでした。この時、替えの効く商品ばかりを作っていたらダメだと痛感しましたね」
自分たちにしか作れない商品を作ろう。こうして、貴千オリジナルの商品に力を入れていくようになったそうです。
そして、震災後はじめて出した新商品がいわきの郷土料理をかまぼこで再現した「さんまのぽーぽー焼風蒲鉾」です。震災以前から施策を重ねてきた商品でしたが、販売するには覚悟が必要でした。
「一番頭を悩ませたのが袋のデザインです。原発事故後、風評被害が避けられない中『いわき小名浜漁師料理』の一言を入れるかどうするかは社内で何度も議論しました。福島のものだと見た目ですぐわかったら、買ってもらえないんじゃないか、他の商品まで売れなくなるんじゃないかという懸念があったからです。だからこの一言は、ここで生きていくんだという自分の覚悟の証でもあるんです」
現在では貴千を代表する商品となり、全国から注文が寄せられるようになりました。
そして震災から12年が経ち、唯稔さんが新たに商品づくりに挑んだのは、主力商品から外したあの「板かまぼこ」でした。
文・写真:奥村サヤ