福島県の漁師町・小名浜で生まれ育って
福島県いわき市の水産加工業者・上野台豊商店代表の上野臺優(うえのだい・ゆたか)さんは、小名浜港のある漁師町・いわき市小名浜地区に生まれ育ち、現在もその小名浜に水揚げされる水産物をメインとした加工業を生業としています。
市場の競りの日には、朝の6時半ごろから自ら足を運び、自身の目で加工する商品を選びます。ここ数年、サンマは不漁が続き、その代わりにそれまで水揚げされなかった伊勢海老や太刀魚などが多く揚がるようになりました。
今まで小名浜でとれなかった水産物は、地元でも食べ方がわからず流通しづらいので、当初は上野臺さんも、加工はせずに東京の市場に流していたそうです。
ただ、年々漁獲量が増えていく中、せっかくいわきで水揚げされるのだから、なんとかその資源を地元で活かせないかと「いわきで水揚げされる伊勢海老」=「磐城イセエビ」としての商品化を思い立ちました。
そこには、2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに伴う東京電力福島第一原子力発電所事故(以下、原発事故)による、福島県の水産物への影響と、そこに対峙してきた上野臺さんの経験と思いがありました。
「福島の魚」として売ることができない
上野臺さんが暮らすいわき市小名浜は、東日本大震災で津波の大きな被害を受けました。小名浜港にも最大4.4mの津波が押し寄せ、陸に打ち上げられる漁船も多くありました。
また震災翌日に発生した原発事故の影響で、原発から半径20キロ圏内に避難指示が、50キロ以上離れたいわき市にも屋内退避指示が出され(2011年4月22日に解除)、放射能の被害を恐れた多くの市民が福島県外に避難するという事態になりました。
漁港や市場、漁船が津波の被害に遭ったこと、また原発事故による放射能の影響が明らかにならないことから漁業もすぐには再開できませんでした。「試験操業」という形で再開した漁業で、福島県で水揚げされた魚は、放射性セシウムの含有量を測る「緊急時モニタリング検査」が行われ、検査を通過した魚種のみが流通するようになりました。
このような状況により、福島県の農林水産物は震災前のように出荷することが難しくなったばかりか、検査を行っていることや安全性が伝わらないことにより、いわゆる「風評被害」にさらされることになります。
「それまでは『常磐もの』として大きな評価を受けていたものを、県外に『福島の魚』として売ることができなくなってしまったのです。どうすればいいかと考えた時に、生ではなく加工食品として販売していくことを考えました。加工食品なら、福島産ではなく事業者の名前で出すことができます。生き残っていくために生業をシフトしていきました」
地元の資源である、いわきの魚を食べてもらうために
上野臺さんだけでなく、地元の漁業者や加工業者、事業者や支援者らの並々ならぬ努力により、震災から12年が経とうとする現在、福島の水産物に対する風評被害を感じることも少なくなってきました。上野臺さんは「震災と原発事故があったことで、地元に目を向けるようになった」と振り返ります。
「震災前は、福島産の鮮魚というのが価値だったこともあり、より多くの魚を買って、東京に売っていくことを一番に考えていて、地元に目を向けられていなかったと思います。地元への販売、加工商品にウェイトを置くようになったおかげで、元々あった魚をはじめとする地元食材や食習慣に価値を見出し、加工商品としてPR出来るようになりました」
漁師飯をルーツとし、小名浜のソウルフードとなっている「サンマのポーポー焼き」は、ファストフードとして食べられるように団子状に焼いて串にさしてみたり、サンマのすり身をひき肉のように使って餃子やピザの具、キーマカレーに加工したり。そんなアイデアはどこから湧いてくるのでしょうか。
「それは地元のイタリアンシェフ・北林由布子さんの力が大きいですね。サンマのポーポーピザなんかは、僕が単純にピザに乗せたら美味しそうだなと伝えたらそれを具現化してくれて。思いついたことを伝えると、その食材を活かした加工方法をアドバイスしてくれるんです。魚を食べてもらえない原因は、やはり丸のまま(さばいていない状態)で売っていることが大きいと思うんですよね。さばき方や調理方法が分からない、そもそも料理に時間をかけたくないという現代ならではの事情もあります。そうであれば、こちらがそういった障害となるものを丁寧に取り去って提供していければと思っています」
福島の豊かな海を守るために、加工業者ができること
震災と原発事故からの11年で、福島県の漁業を取り巻く環境はもちろんのこと、水揚げ量や水揚げされる魚種などが目まぐるしく変わっていると上野臺さんは言います。
「しばらく漁をできない期間が続いて、福島の海はリセットされました。魚をとらなかったことで魚が増え、新陳代謝も行われて、とても豊かな漁場になりました。でもまた、以前のように大量に水揚げしてしまえば、元に戻ってしまいます。せっかく豊かになったので、外国のように国がコントロールして、その漁場を守って欲しいなと感じています」
「とはいえ、それは一事業者の手に負えることではないので、私たち加工業者の役割は、水揚げされた魚を無駄にすることなく、加工商品として価値を付けて有効活用していくことだと思っています」
その1つが、ここ数年小名浜で水揚げされるようになった伊勢海老、「磐城イセエビ」の商品開発です。
名前の通り、三重県伊勢の名産である伊勢海老が、5年ほど前から北関東や東北でも水揚げされるようになったのです。
伊勢海老はその高級感や希少性から、贈答やお土産、晴れがましい場所にふさわしい、ポテンシャルの高い食材。これを利用しないのはもったいないと、北林シェフと商品開発を始めました。
サンマのポーポーピザのアイデアを活かした、「磐城イセエビのピッツァ」、「磐城イセエビのパスタソース」、そして素材そのものの味を楽しめる「磐城イセエビのグリル」。これらを詰め合わせた「究極の『磐城イセエビ』セット」は、販売するや否や大きな話題を呼び、北林シェフのレストラン「LaStanza(スタンツァ)」でも期間限定で提供され、大好評を得ました。
そして今回開発した「磐城イセエビ贅沢姿蒸し」は、更に新鮮な伊勢海老を、味だけでなく見た目でも楽しんでもらうべく、磐城イセエビの中でも、1匹500グラムから1キロの大きなサイズに限定。注文を受けてから調理し、賞味期限3日という、目で楽しみ、瑞々しく新鮮な状態で食べてもらうための商品として開発したのでした。
「より美味しく食べてもらえるよう、北林シェフによる、いわき市の食材を使った2種類のソースも付けています。特別な時、特別な人と、いわきで水揚げした『磐城イセエビ』を食べてもらう。それ自体がいわきの新しい食材としてのPRになりますし、いわきに足を運ぶきっかけになるかもしれない。磐城イセエビがそのような価値を持つ商品になるように更に磨きをかけたいと思います」
「個人の事業者ができることは多くはないけれど、小規模だからこそ、少量の漁獲の魚も無駄にせず、価値を与えて商品化していくことができると思います」と上野臺さん。地元ならではの資源を活かし、水産物の消費を促すため、これからもあっと驚く商品を私たちに届けてくれるのではないでしょうか。
文:山根 麻衣子、写真:熊田誠(最後の商品写真のみ、&fish商品写真より引用)