2022.12.13
岩手県2022.12.13
北三陸から世界へ
~ぶれない心が道を切り拓く~vol.01
北三陸ファクトリー

  • 岩手県
  • 株式会社北三陸ファクトリー

北三陸の下苧坪さん

岩手県の最北端、九戸郡洋野町。2006年に種市村と大野村が合併してできた町です。岩手出身の私は“種市”と言われた方が馴染み深く所々に残る旧町名に親しみを感じながら訪問しました。

北三陸の顔として、業界では言わずと知れた岩手県洋野町の下苧坪之典さん。「うに牧場®」を代名詞に常識を覆す取り組みで評判のウニの加工業者です。手がける加工品は、セレクトショップに並びそうなおしゃれな品ばかりです。

2010年に”ひろの屋”を設立。2018年、仲間と”ひろの屋”のスピンアウトとして立ち上げたのが”北三陸ファクトリー”です。ひろの屋は水産物の入札権を持つため仕入れを、ファクトリーは仕入れに加えて加工食品の製造・販売、ウニ養殖を担っています。

曽祖父の代から水産業を営んできましたが、親の代で経営難に陥った水産加工会社は一度たたみ、地元に帰った之典さんが、取引先数社を引き継ぐ形で新たに会社を設立。家業の水産では食べていけないと考えていた之典さんによる再起の奮闘ストーリーを追います。

地元への想い

2、3世代前まで、水産業は地域経済を豊かに支えてきました。ただ、海洋環境が変わり、漁獲高も大幅に減ったため、之典さんの父の水産加工会社も経営が苦しくなっていきました。船さえ手放さざるを得ない状況で、水産業では食べていけないと悟った之典さんは、外の世界を見ようと町外の商業高校に進学。大学卒業後は自動車販売会社や生命保険会社で成果報酬制の厳しい営業を経験しました。父親の病気を機に2010年地元へのUターンを決意します。

ところが、故郷に戻り予想を超える水産業衰退の実態を目の当たりにし、愕然とします。海中の昆布の森をかき分けて泳いだり、拾ったツブ貝を友達と食べたりして海と共にあった幼少期。夏は海水浴客で賑わい、釣りやバーベキューで楽しむ人もたくさんいました。記憶に色濃い水産業で活気溢れたかつての地域の姿はありませんでした。地元を一度離れて自分のルーツに気付き、かつての故郷の風景を自らの活動で取り戻したいと考えるようになったのです。

「これまでと同じことをやっても、地域は疲弊して一方です。雇用継続すらできる自信はない。どうシフトチェンジするかでした」

最初は、加工品のワカメの販売から商売を開始。次の世代への事業継承が難しい現状を変え、しっかりと継承できる体制作りも一つの目標となりました。「僕らの世代の挑戦が、大きなきっかけになったらいい」夢は壮大です。

東日本大震災

地元に戻った直後の2011年、東日本大震災が東北を襲いました。浜で仕事中だった之典さんは高台へと避難しましたが、巨大な津波に漁港がのみ込まれていくのを目にしました。想像を絶する喪失感に苛まれると同時に、このまま地域を止めてはならないとの想いに突き動かされました。炊き出しボランティアをしながら、大きな釜や樽、ガス台を借りて、天然ワカメをゆで、塩蔵作業をするところから事業を再開。会社員時代に培った営業力で自ら、都心の百貨店などに営業し、催事での販売もしました。

その頃に巡り会ったのが、東日本の食文化の復興を進め、世界に誇るブランド確立を目指す“一般社団法人 東の食の会”です。説明会で、震災復興に取り組むために大手コンサルティング企業を辞めたという若い男性と出会います。

賛同する大手企業を巻き込んで生産者と対話を重ねる男性らの本気度に心動かされました。同会の勉強会や合宿にも参加し、志の高い東北の生産者らとの心強いネットワークが構築されていきました。地域を世界に発信する―。真のブランド力について考え深め、三陸の食材を手にアメリカや東南アジアなど、営業をして回る経験も積みました。そうした中で、地元・洋野町の特産品であるウニを海外でも販売してみたいと考えるようになりました。

うに再生養殖への挑戦

ウニは、言うまでもなく人気の高級食材です。海産物の中でも加工や販売が難しいとされ、新規参入は困難。入札権も得られず苦戦していたところ、“東の食の会”の縁で大手企業のサポートを受けられることに。その結果、設備投資が可能となり、入札権を入手。2016年、ついに世界を見据えウニで挑戦するチャンスを掴みます。

洋野町の種市漁港沖には、広大な岩盤地帯があり、そこに先人が数十キロにわたり溝を掘ったことで大量の天然昆布が生える畑を作ることに成功しています。うま味である昆布を食した実入りも味も抜群のウニが成長します。他に類を見ない環境、畑を耕すようなその仕組みは「増殖溝」と呼ばれてきました。之典さんは、一般の人にも分かりやすくしようと、これを「うに牧場®」と名付け、ブランド化に取り組みました。

ウニが海藻を食べ過ぎると資源が枯渇し、沿岸漁業の持続可能性にダメージを与える問題があります。北海道大学とコンソーシアムを組みながら、技術開発にも着手。決して、元々ネットワークがあったわけではありません。自ら大学を訪問するなどし「何とか我々の地域を救ってほしい」と直談判。大企業とのつながりを生かしながら、産学官連携のため、とにかく自主的に動くことでウニ養殖のための連携枠組みを築き、広げていきました。

「民間として、自ら情報を取るよう心がけています。海の資源管理に配慮しながら、アクションを明確にするようにしています」なかなか機動的な動きにつながらないのは、漁協、水産庁、県、自治体のさまざまな規制に水産業が守られている事情もあります。

現在、養殖は北海道がメインです。「ウニ養殖は、その地域の方々との連携も必要です。ものすごく慎重にやっています」。連携できる自治体や漁協を探し、養殖が可能なエリアを確保。細かな草の根的な取り組みが、現在のうに再生養殖につながっています。側からは大胆な転換を順調に進めているように見える之典さんの苦悩。とにかく自ら脚を動かす行動力で、これまでの“当たり前”を覆してきたのだと気付かされました。

これまでの自身の経験と照らし合わせながら「海の中も相当に変化している。一度日本の水産業がダメにならないといけないかもしれない。今あるものを手放さないと大きく変化はできないですよね」

地域を巻き込む難しさ

地域を巻き込む難しさも痛感しています。大学の先生を連れて、地域の漁師らに説明しても、保守的な考え方が簡単に変わるはずもありませんでした。活気あふれた時代を知るからこそ、水産業の衰退ぶりに地域が疲弊している側面もあります。「実質的に漁師の人の収入が増えることが一番分かりやすい。産業として根付かせるビジョンをいかに見せるかです」

海と共に生き、水産業を変える実際のアクションをするのはあくまでも漁師だとの考えです。

行政のスピード感も重要です。事業は既に海外進出しており、オーストラリア出張から帰国直後。この日も出張先の展示会会場からオンラインでインタビューを受けてくださっていました。「海外の方は意思決定がものすごく早いと感じます。一つ一つの決定が早いということは、大きな課題解決の時間も変わってくるのではないでしょうか」

文・写真:石山静香


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