2022.12.13
福島県2022.12.13
地元の人が通う、町のタコ屋さん
~“常磐もの”タコのおいしさを届けたいvol.01~
カネセン水産有限会社

  • 福島県
  • カネセン水産有限会社

黒潮とともに北上してきた様々な魚が、親潮で発生したエサを食べて大きくなる豊かな海、“常磐沖”。春はシラウオ、夏はスズキやカツオ、秋はヒラメ、サンマ、冬はアンコウ、メヒカリ …1年を通して豊富な魚種が水揚げされてきました。

福島県いわき市は、古くからそれら“常磐もの”を狙い、多くの船が出入りする賑やかな港でした。

江名港のタコ屋さんへ

タコの加工は、明け方の薄い時間から始まります。江名港のほど近くで、タコ専門の加工を営むカネセン水産有限会社、3代目の代表取締役の坂本剛士さんと麻紀さんが「早朝からすみません」と、冬の冷たい空気を忘れさせる朗らかさで迎えてくれました。

やっぱりタコが好き

剛士さんは地元の高校を卒業し、2年間他業種で働いていましたが、自分から父親に頼み込んでカネセン水産に入社しました。「やっぱり、タコが好きだったんでしょうね」と、当時を振り返ります。

「あの頃は忙しかったですよ。いわゆる大量生産ですよね。人も多く雇っていたし、タコもよく獲れた時期。今とは作り方が全然違っていた」創業以降、業務用に特化してタコを加工し、量産して全国に卸していました。

地魚の魅力-豊かな常磐沖で獲れるタコ

タコの市場は昔から関西が多く「東北(いわき)に?!」とよく驚かれるのだそう。しかし元々、いわきや茨城はタコの加工が盛んな土地柄。古くからアフリカ産の”真だこ”を中心に扱う業者さんがおり“柳だこ”や真だこが水揚げされ、加工に使用されてきました。

ヒラメやあなごなど年間を通し多様な魚種が獲れるため、タコ専門の漁師さんはいません。

「季節によって獲る魚が違うんです。12月から真だこ漁が始まります」

一方、柳だこは底引き漁。

「真だことは漁法が違うんですよ。沖合に行って、大きい網下ろしてずっと下に引いていく漁なんです」底引網にはタコ以外にもメヒカリなどいわきを代表する魚も入ります。

豊富な魚種を季節ごとに獲れる“常磐沖”。沿岸部は古くから豊かな海の恩恵を受けて育まれてきました。

大きく変わった震災後

福島県沖では東日本大震災の発災により、水揚げ量も漁船も激減。そもそも試験操業しかできない日々が長く続き、港から活気が消えていきました。タコの加工業者だけでも10社から5社に減ってしまいます。

カネセン水産も震災で大打撃を受けますが、剛士さんは「それなら」とそのピンチを生かし、会社のあり方や方針を大きく変えていきました。

大量生産から一つ一つ手作りへ

「震災後、福島産の水産物が獲れなくなった。全て試験操業っていう形で、通常の水揚げがなくなっちゃったんです。それ以降は従業員も雇わず、基本妻と2人でやっています。忙しいときは、以前来てくれた地元のパートの人に手伝ってもらって」

一時は20人近くいた従業員ですが、震災後は体制を見直し、奥さんの麻紀さんと2人での再出発となります。

「震災前は従業員に任せていた部分が結構あったんですよ。だから正直、全工程は管理できてなかった。今は、全部自分で仕上げてるので発見もたくさんあって。作りをちょっと変えてみようかなとか、新しいイメージや工夫が湧いてくることも。それはそれで面白い」

その結果「前よりも納得いくものができるようになってきましたね」と顔を綻ばせます。

「量はつくれないけれど、ひとつひとつ手作りで、いいものを提供したいんです」

全て自分で手がけるからこそ見えるもの、感じるものが変わってきた剛士さん。

「今の方が商品に対する想いは強くなっている」といいます。

小売向けに商品を製造

震災前までは業務用の加工が大半でしたが、震災後は原料不足も重なり「このままではまずい」と危機感を募らせます。

「加工組合に入ってるんですけど、組合主催で朝市とかマルシェとかもやっていまして。声をかけてもらえるようになったんです。思った以上に評判がよくて」

剛士さんの自信となり、思い切って小売向けの商品の製造に舵を切りました。

身近な人たちから「美味しかった」と声をかけてもらえることは喜びで、より美味しい商品の開発や工夫に繋がっています。

国産のタコだけを使用

「3年ぐらい前から100%国産に絞っています。地元で獲れる柳だこがメインです。原料が定まらず不安ということもありますが、やはり地元で揚がるタコは物もいいしお客さんに伝えやすいから」と剛士さん。

「地元だからこそ、浜で自分で見て、選んで仕入れた材料で作ることができる。うまくいった時の充実感は最高」それに「地元の市場で買った方が、地元に少しでも還元できる」

木の大きな樽

タコの加工には欠かせない”塩揉み”作業。加工場には必ず塩揉み用の大きな樽があります。震災前までヒノキでできた木樽を使用していましたが、震災後”ステンレス製”に変えました。衛生的で管理面では非常に優秀ですが「木樽とは、風味がほんのちょっと違う気がするんですよね。慣れ親しんでいるっていうのがあるんだとは思いますけど」と剛士さん。

「職人がいないんですよね。ここまで大きい木樽を作れる人はなかなかいない」大きな木樽づくりには高度な技術が必要。ニーズがなくなれば、職人さんもいなくなり、技も消えていってしまいます。

そんな中、最近は昔ながらの製法が見直されてきている、と剛士さん。

「今でも、震災後ステンレスじゃなくて木樽を作ってくれる職人をもっと粘って探せばよかったと思うことがある」と残念そう。工場には今もお祖父様の代から使用していたという木樽がありました。

「今、量産する時代でもなくなってきているように感じるんですよね。昔の製造方法が復活する日が来るかもしれません」いつかこの木樽を復活させたい想いが募ります。

文・写真:石山静香

後編はこちらから